謙虚に勉強する人、謙遜して勉強する人の伸びの違い
よく、「謙虚な人ほど伸びやすい」と言われます。もしかしたら、あなたも学校や塾で、「謙虚に勉強しなさい」と言われたことがあるかもしれません。
本日は、「謙虚に勉強するとはどういうことなのか?」を考えていきたいと思います。
ちなみに、このテーマを取り上げることにしたきっかけは、ちょうど、先日、国語の現代文のセンスについての記事を書いたことです。この記事の中で、現代文の「センス」の1つに「言葉の感度が高い」ということをお伝えしました。
本記事の中では、「謙虚」という言葉の意味について考えていきます。ぜひ、あなたも一緒に考えてください。考えていく中で、あなたの「言葉の感度」が高いのかどうかのチェックにもなります。勉強法の記事であると同時に、現代文の勉強法にも繋がる記事だと思って読み進めて頂ければ幸いです。
国語の現代文のセンスについての記事はこちら
2人のうち、どちらが「謙虚」でしょうか?
まず、いきなり謙虚の辞書的な言葉の意味をあげても面白くないので、具体的な例を上げて、登場する2人の人物のうち、どちらがより謙虚な人かということを考えていきましょう。
例えば、あなたが、友人の家に招かれて、ご飯を御馳走になったというシチュエーションを想像してください。友人が作った料理がとても美味しかったとき、あなたが友人にこう言ったとします。
「美味しい!◯◯ちゃん、料理うまいね!」
こう言われた友人Aさんが仮に次のように答えたとしましょう。
「いやいやそんなことないって。私の料理の腕なんて全然ダメだよ。」
また、別の時に、別の友人Bさんが次のように答えたとしましょう。
「え?やっぱりそう思う?
自分でも最近ドンドン料理の腕が上がっていると思うの。」
さて、AさんとBさん、あなたはどちらが「謙虚」な人だと思いますか?
考える時間をとるので、ぜひ、考えてみてください。
考
え
る
時
間
(笑)
さて、どうでしょう?
おそらく、多くの人が「私の料理の腕なんて全然ダメ」と言った友人Aさんの方が、「謙虚」な人だと思われたのではないでしょうか?
もし、あなたもそう考えたのであれば、要注意です。
友人Aさんの方が「謙虚」だと思った方は、謙虚の意味を「謙遜」だと誤解しています。
このクイズの答えを先に申し上げるなら、AさんとBさんのどちらが「謙虚」な人であるかという問いには、「これだけではわかりません」と答えるのが正解です。
どういうことか?
「謙虚」と「謙遜」の意味の違いを考えながら、このことについて考えていきましょう。
「謙虚」と「謙遜」の違い
辞書では、「謙虚」と「謙遜」の意味について、広辞苑では、次のように書かれています。
謙虚:控えめで素直なこと。謙遜。
謙遜:控え目な態度で振る舞うこと。へりくだること。
「ん?あれ?謙虚=謙遜??一緒やんけ!!」と思われたかもしれません。しかし、先日書いた国語の現代文のセンスについての記事で申し上げたように、意味が違うから別の言葉が用意されているわけです。全く同じ意味の言葉であれば、残っているはずがありません。この言葉の微妙な違いがわかることこそが、言葉の感度が高いということになります。
この、「謙虚」と「謙遜」の例のように、「言葉の感度」は、決して、辞書の意味を丸覚えしていく中では身につきません。文章を読む中で言葉に触れ、意識的に今まで曖昧に捉えていた言葉と向き合い続ければ、どんどん「言葉の感度」が高くなっていきます。
話を戻しましょう。「謙虚」と「謙遜」について。いくつか辞書を調べた中で、一番「謙虚」と「謙遜」のニュアンスの違いがわかるものは、次の意味だと思います。
謙虚:自分を偉いものと思わず、素直に他に学ぶ気持があること。
謙遜:へりくだること。控え目なつつましい態度でふるまうこと。
どうでしょう?両者の違いがご理解頂けたでしょうか?大切なのは、ライトが当たっている部分が「謙虚」という言葉には、「気持ち」に。「謙遜」という言葉には、「態度」に。あるところです。
つまり、「謙虚」という言葉の意味には、「自分はまだまだだと思っているか?」「その上で上を目指そうとする気持ちがあるか?」が大切になっています。気持ちを見て「謙虚」であるかどうかが判断できるわけですから、態度を見ても「謙虚」かどうかなんてわかりません。
2人の友人A・友人Bの話に戻すと、、、
「謙虚」と「謙遜」の意味がわかったところで、先ほどの2人の友人の話に戻りましょう。
「料理が上手だね」と友人に言ったとき、
友人Aは、「私なんて全然ダメだよ」と言い、
友人Bは、「最近料理の腕が上がっていて上手くなっている」と言っていました。
「いやいや私の腕なんてまだまだなの。」
と言った友人Aが、言葉通り
自分の腕は未熟だと思い、日々鍛錬しているならば、「謙虚」と言えるでしょう。
しかし、そう言っているだけで、
本当は、『自分の腕は世界一だ』と慢心していて、何もしていないならば、
この友人Aは、「謙遜」はしていますが、「謙虚」ではありません。
一方、友人Bの場合、
「やっぱりそう思う??自分でも最近ドンドン料理の腕が上がっていると思うの。」
と言う発言から「謙遜」はしていませんね。
しかし、腕が上がっているとは言ったものの、世間で比べると自分の腕はまだまだであると痛切に感じており、毎日、料理の実習と勉強を8時間以上、確保して鍛錬しているならば、友人Bは間違いなく「謙虚」な人だと言えるでしょう。
このように、「謙虚」と「謙遜」は違います。「謙遜」は口で言っているだけで、本当の気持ちがどうなのかはわかりません。一方「謙虚」は口で何と言おうが、自分の中ではまだまだと思っていて、向上心を持っています。向上心があるからこそ、行動も伴っています。
「謙遜」は口だけ。「謙虚」は行動が伴っている。というわけです。
ですから、謙虚な人は必ず伸びていきます。一方、謙遜する人は、本心がわからないので、伸びていくかどうかわかりません。
「謙虚の鏡」とも言える人物、それは、、、
「謙遜」と「謙虚」の意味を説明致しましたが、それでも両者の違いがピンと来ていない方もいらっしゃると思います。というのも、「謙遜」をする人は「謙虚」な人だと世間では思われているからです。しかし、実際は、そうではありません。
具体的な例をあげて考えていきましょう。例えば、野球のイチロー選手。
イチロー選手は、「自分はできる」という自信に満ちています。インタビューでも「自分なんか他のプレイヤーと比べてまだまだですよ」と「謙遜」している姿は見たことがありません。
しかし、常に目標を定め、日々努力しています。世界記録を作っても、その姿勢が変わることはありません。次なる目標を見据えて、決して慢心せずに、努力を続ける姿はまさに「謙虚の鏡」とも言えるのではないでしょうか?
「成績は出ているから今の自分でいいんだ、
という評価を自分でしてしまっていたら、今の自分はない」
これは、イチロー選手の言葉です。世界記録を作って、成績を出しても、この言葉が言えるのは、本当に「謙虚」ですよね。
このように、現状でも、かなりできているけど、まだ高みがあると思い、努力を重ねる姿こそが、「謙虚」なのではないでしょうか?
周りと比べて、優れていても、「まだまだである」と思い、向上心を持って努力を続けることができる「謙虚」な姿勢は、一生モノのスキルになるので、ぜひ持ち続けていくことをオススメします。
あなたの医学部受験生活で当てはめて考えれば、、、
医学部受験を考えているくらいだから、きっとあなたは優秀なのだと思います。少なくとも、医学部に合格する頃には、優秀になっているでしょう。今は成績が悪くても、これから勉強をしていけば、偏差値も65を超え、模試の判定もEから徐々にあがっていき、A判定、B判定を取るようになっていくことでしょう。その頃には、誰が見ても「できるようになっている」ことは間違いありません。
しかし、そこで決して慢心せず、「まだまだ行ける」と向上心を持って頑張れる「謙虚さ」を持つこと。医学部に合格してからも、「自分は優秀な人間だ」と慢心せず、上には上がいるからと自分が興味のあることを勉強し、伸ばしていく「謙虚さ」を持つこと。これが、できるようになれば、医学部受験が終わっても、どんどん成長していけると思います。だから、医学部受験を通して「謙虚」さを身につけて頂きたいと強く思います。
5浪して捨てた謙遜と身につけた謙虚さ
そして、少し極端な考え方かもしれませんが、自分が頑張っていること、誇りを持っていることについては、「謙遜」するのはやめた方がいいと個人的に思っています。
ご存知でない方もいらっしゃると思いますが、私(=毎度おなじみ石戸です)は、5年浪人して岡山大学医学部に合格しました。5浪する中で、謙虚さを得て、謙遜することをやめました。(※ 少し、私的な話になるので、「お前の昔話はどうでもいいわ」と思う方は、読み飛ばして、次に進んで下さい 笑)
私は、5年浪人してはじめて「謙虚さ」とは何かがわかりました。
高校生の頃は、「謙遜すること」が「謙虚であること」だと思っていました。そして、浪人して勉強して少し成績があがれば、「俺ってめっちゃできるぜ」と慢心していました。「謙遜」はしていましたが「謙虚」ではなかったのです。しかし、それでは、周りの現役生に追いつかれて二流で止まってしまいます。
私の場合、幸か不幸か、慢心していた年にも「不合格」となり、5浪目に突入することになりました。5浪して、どんなに成績がよくても「まだ上がある」「まだ伸びる」と思えるようになりました。
受験勉強で身につけた、この「謙虚さ」は今でも私の財産となっています。例えば、私の塾で生徒さんからよく「先生の授業、めちゃくちゃわかりやすかったです!」と言われます。そのとき、私は、謙遜は一切しません。「そうでしょ。ボク教え方良いですからね」と答えます。とはいえ、慢心はしていません。「もっと良い教え方はないか?」「どうすればわかるか?」を常に考えています。
実際、「今の授業の教え方のどこが良かったですか?」や「他の先生と比較して良かったところや、どこか改善すればもっとよくなるところってあります?」と開塾以来ずっと今でも聞いています。入試問題も英語・数学・物理・化学と今でも解いています。これだけやれば、教え方が良かったり、問題を解けるのは当然だと思っているので、「謙遜」はしません。「謙遜」をすることは、思っていないことを口にするという意味で相手に対して失礼だと思いますし、今まで自分でやってきた努力を否定しているように思えます。つまり、「謙遜」をしないことは、「相手に対する礼儀」と「自分の歩んでいる道の肯定」だと私は考えています。逆に言えば、謙遜する人は自分が伸びる可能性を摘んでしまっているように思います。
ですから、あなたも、自分が頑張っていること、自分が誇りを持っていることについては、「謙遜」することはやめてもらえたら嬉しいなと思います。その代り、人には言わなくてもいいので、内に秘めた「謙虚」さを持って頂けたらなと思います。そうなれば、世間で「謙虚な人が伸びる」と言われるように、あなたの成績も間違いなく伸びていくことでしょう。そして、医学部受験を通じて、「謙虚」な姿勢を持つことができれば、受験という枠組みをこえて一生を通じて色々なことをつかむことができます。
謙遜をして生きるな。謙虚に生きろ。
どうせ時間をかけて勉強するなら、将来にも役立つスキルを身に着けていこうじゃありませんか!?その方がお得ですよね。謙虚さを身につける代わりに、今まで身につけていた謙遜する自分は捨ててしまってはいかがでしょうか?
今後、謙虚に勉強し、どんどん成績が伸びていくことを心より祈っております。
追伸
今回のテーマは、「謙虚に勉強するとは?」ということでしたが、サブテーマは「言葉の感度」です。「謙虚」や「謙遜」って誰もが聞いたことがある語句ですが、意外に意味が深いと感じて頂けたのではないでしょうか?
このように、普段使っている言葉の意味を意識し、言葉の使い分けができるようになれば、「言葉の感度」はどんどん高くなります。すぐに、身につけることはできないので、まずは、現代文の授業や問題を解いた時に登場する語句を意識することから始めてみてはいかがでしょうか?
まとめ
本日は、「謙虚に勉強するとはどういうことなのか?」について考えました。
「謙虚」とは、まだ未熟な自分を受け入れ、向上心を持って努力すること
一方、「謙遜」とは、口では控えめなことを言っていますが、本心はわかりません。謙遜している人が本心で、慢心していれば、「謙虚」とは言えないでしょう。
「まだ、自分はダメだ。」「もっと伸ばせる。」と思って頑張ろうと思う気持ちを持つことが「謙虚な姿勢」なのですから、当然、「謙虚な人は成績があがる」と言えるでしょう。もちろん、謙虚に勉強しなくても成績を上げることは可能です。しかし、医学部受験を通じて、「謙虚な姿勢」を身につけることができれば、その姿勢は、一生モノの財産となります。医学部受験を通じて「謙虚さ」を身につけることができれば、医学部に入ってからも、医師になってからも成長することができます。ですから、ぜひ、「謙虚な姿勢」を身に着けましょう。
その際に、「謙遜すること」は捨ててしまうことをオススメします。なぜならば、「謙遜すること」は思っていないことを相手に言うという意味で失礼であり、今までの自分の頑張りを否定しすることに繋がるからです。
ですから、謙遜することはやめて、謙虚な姿勢で勉強に励んで下さい。医学部受験を通じて一生モノの財産となる「謙虚さ」が身につくことを、祈っております!
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